オンラインカジノにハマって早幾年。最高勝ち額は数百。最高負け額も数百。狙うは常に一発逆転に一攫千金。オンラインカジノの酸いも甘いも知り尽くした、崖っぷちライター。
『末は博士か大臣か』と言われていた幼少期。人生楽勝、と俺は思っていた。
高校、大学でパチンコ、スロットにズッポリとはまり、見事に勝ち組レールから外れる。それでも時代は俺に微笑んでいた。
当時、パチスロ4号機全盛。10万使って20万円を取り返す、狂乱の時代。鉄火場と化したパチンコ店で飛び交う万札。まさにデッドオアアライブの時代。アドレナリン全開でヒリついた毎日を過ごす日々だった。
月に50以上勝つときもあれば、50万円負けるときもあり、毎日勝っても負けてもアドレナリンが出っぱなしだった――。そんな4年間はあっという間。4年に進学すると周囲は就職やら進学やらで忙しく動き回っているなか俺は相も変わらず、パチンコ屋へ出勤し退社するという毎日だった。
パチスロは4号機から4.5号機へと移り、4号機よりも手ごたえを感じていた。
そしていつの間にかこう考えるようになった。「スロプロしかねえな」
しかし時代が少しずつ変わっていったことに、俺はまだ気づけていなかった――。
3年後。パチスロは4号機が消え5号機へと突入し冬の時代へ突入し収支は安定することはなく、マイナスになる月も多くなり、今後の身の振り方を考えるようになっていた。仲間のスロプロたちは足を洗い、故郷へ帰る者や就職をする者も増えていったが、俺はどうすれ良いのか迷っていた。
そんな時見つけたのが、ある小説家養成の専門学校のサイト。元々、文章を書くのは得意だったから渡りに船と申し込んだ。
専門学校に入学しその2年後専門学校を卒業すると、アルバイトをしながらもなんとか少しずつゲームのシナリオの仕事が増えるようになった。
卒業して数年後シナリオ1本で食べることができるようになったある日。仮想通貨というものが流行っていることを知る。将来数千、数億になるという話を聞き、有り金をすべてはたいてビットコインを購入。
見事、10倍ほどの価格になったものの、翌年中国による仮想通貨の規制で大きく下落。同時にゲームシナリオの仕事も少しずつ少なくなり、手を出したのはオンラインカジノ。スロットで一撃数百万を得るも一週間ですってんてん。
そして現在。咲かぬなら咲かせて見せようホトトギスの気概で夢は一攫千金。狙うは常に一発逆転。
ギャンブルで脳がおかしくなっている、崖っぷちオンカジライターとは俺のこと。
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